必要な時に・必要な量を・必要な場所へ
医薬品卸は、地域医療に欠かすことのできない医薬品・医療品を安定供給するという社会的使命を担っています。災害・パンデミック等の国家規模の危機的状況においても、国・都道府県との緊密な連携の下、必要な量を必要な場所へ供給する社会インフラとして貢献して参ります。
衛星電話による連絡網の確保
大規模事故・災害時の緊急時に活動できる機動性を保つため、必要な情報を的確に収集するツールとして本社および主要支店に衛星電話を設置しています。
安否確認システム
大規模事故・災害時に迅速・的確な情報共有を図るのと同時に、社員の安否情報・動員可否情報を収集し、社内の非常体制立ち上げを支援するシステムを設けています。
震災での対応と教訓
取締役 営業本部長
茂木稔之(元仙台支店医薬課長)
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新潟医療機器診断薬課長
石崎誠(元長岡店医療関連課長)
―中越地震・中越沖地震、そして東日本大震災を経験されたお二人ですが、まずは震災発生時のことを教えてください。
営業本部長 茂木
●石崎
中越地震は土曜日の夕方で私は自宅にいました。すぐにこれは普通の地震ではないと感じたので、お取引先の病院へ真っ先に向かいました。幸いにもその病院に大きな被害はなく、ほっとした事を覚えています。
しかし多数の医療機関でライフラインが止まっていたので、在庫商品のミネラルウォーターなどをお届けしました。
●茂木
東日本大震災が起きた時、私は会社にいました。ものすごい揺れだったので社屋内にいた社員へ外に出るよう指示をだしましたが、揺れが激しすぎて外に出られず、倉庫の棚にしがみついている社員もいました。
あの瞬間はまずは状況を理解することで精一杯だった気がします。しかしすぐに非常事態であると理解し、社員・家族の安否確認そして、お得意先の状況を把握するようにしました。
―震災後、どのような対応をしましたか?
新潟医療機器診断薬課長 石崎
●石崎
まずは何よりもお得意先に医薬品をお届けする体制を整えました。幸い新潟市の本社から医薬品や救援物資を持った応援部隊が駆けつけてくれたので、ある程度の物資はそろっていました。
しかし、お得意先に向かうまでの道がないんです。みんなであそこの道は行ける、こっちはダメと連絡を取りながら、半分崩壊している道を通ったり、迂回を繰り返したりしてお得意先に向かいました。
●茂木
物流体制については、山形支店経由で新潟本社からのルートが早々に確保できたので先ずはお得意先の支援に全力であたりました。行けるところまで車で行ってそこからは歩いてお得意先へ向かいました。あとは窓ガラスが割れているお得意先にはブルーシートを貼ったり、入院患者様の食糧にお困りの先には栄養補助食品をお届けしたりと、とにかく何か手助けができればとの思いで活動していました。
―震災から学んだことは何ですか?
●石崎
災害時に必要なものはある程度限られます。まずはそれをしっかり在庫管理することだと思います。そしてそれを届ける人と指揮系統の確保です。災害時の医薬品供給は何よりも「スピード」が求められると感じました。まさに一刻を争う事態でしたから。ハードとソフト面の両方を整備することが、迅速な対応に繋がると思います。
●茂木
医薬品卸は「命をつなぐ仕事」だと震災を通じて痛感しました。当時、お得意先に向かっている間、道路に横たわるご遺体を目にしました。だからこそ今ある命は守らなくてはいけない、そのために必要なのは「医療」だと強く思いました。私たちは医療従事者ではありません。しかし微力ですがお手伝いできることがありました。そのことを決して忘れず、これからも「医療」を安定供給するマルタケであり続けます。